21号西本願寺・東本願寺

仏教新発見・第21号
『西本願寺・東本願寺』
発行:朝日新聞社
定価:580円

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第21回 朝鮮仏教の展開

朝鮮仏教の流れ
イラスト ヨシザワスタジオ

 六七六年に朝鮮半島を統一した新羅は、仏教文化を花咲かせた。この時期を代表する者として次の僧侶が注目される。第一に、元暁(六一七~六八六 年)は和諍という教えにより、すべての仏教の宗派を統一する原理を提示しようとした。彼の思想は、中国の華厳思想を大成した法蔵に大きな影響を与えた。

 第二に、義湘(義相、六二五~七〇二年)は、中国で華厳思想を学び、帰国して教えを広めた。その思想は中国や日本とも異なった独特のものであっ た。第三に円測(六一三~六九六年)は、中国で唯識思想を学び、生涯を中国で終えた人物である。彼の思想は法相宗を開いた基(慈恩大師)にも匹敵するもの であった。このように、新羅の仏教教学のレベルは高く、中国仏教の発展に寄与したところも大きい。

 新羅王朝も後半の九世紀になると、中国仏教の動向をうけて禅が盛んになりはじめる。中国に求法した禅僧たちは新羅に帰国すると、山を根拠地として教えを広めていった。それら九つの山で活動した禅の流れを「九山禅門」と総称する。

中国仏教の復活にも寄与

 一〇世紀の高麗時代になると教学と禅が互いに発達した。華厳思想では均如(九二三~九七三年)が出、義湘以来の華厳宗を大成した。さらに天台学で は、諦観(一〇世紀)が出た。彼は唐末五代の戦乱により中国で失われた天台典籍を中国にもたらし、宋代の天台宗が復活する基盤を提供した。

 同様のことは約一〇〇年後の義天(一〇五五~一一〇一年)にも見られる。義天は華厳宗の典籍をもたらし、宋代の華厳宗の復活に大きく寄与した。こ のほか義天の功績としては高麗大蔵経の続蔵経を編纂したことがあげられる。この時期、中国を中心として大蔵経が編纂されたが、高麗でも高麗大蔵経の編纂が 行われた。従来の大蔵経がインドで成立した経、律、論を中心としたものであったのに対して、義天は中国、朝鮮撰述の典籍を集成した大蔵経を編纂したのであ る。また、禅では一三世紀に知訥(一一五八~一二一〇年)が出た。彼は中国の李通玄の華厳思想と大慧宗杲の禅思想(看話禅)を導入し、独特な理論を形成し た。

 一三九二年に始まる(李氏)朝鮮時代は、それまでの仏教中心から儒教(朱子学)を中心とした国家体制に変化した。そのため仏教は排斥され、多くの 寺院が破壊されたほか宗派も統合され、最終的には禅宗と教宗の二つだけが残った。しかし、そうした中でも一六世紀末の豊臣秀吉の朝鮮侵略に対しては西山大 師休静(一五二〇~一六〇四年)が僧兵を組織し、抵抗運動を行ったほか、仏教思想においても後代に影響を及ぼした。

海印寺の伽藍全景
韓国・慶尚南道にあって、世界遺産に登録されている海印寺の伽藍全景。802年の創建で、13世紀半ば制作の「高麗八万大蔵経」の版木が1398年以来、所蔵されている。伽藍は1817年の再建。
写真 田村 仁

 一九一〇年、韓国併合により朝鮮半島は日本の植民地となり、細々と続いていた朝鮮仏教も日本の影響を蒙るようになった。日本の曹洞宗や臨済宗によ る朝鮮仏教の統合や編入が企画されたこともあったが失敗に終わった。しかし、朝鮮総督府により、朝鮮半島の寺院にも日本と同様の本寺末寺制が導入されるな ど、制度の面で大きな影響を受け、さらには日本仏教の影響で妻帯僧が出現し、戒律の伝統が失われた面もあった。

(文・佐藤 厚 さとう・あつし 一九六七年、山形県生まれ。専門は中国・朝鮮仏教史、華厳学。東洋大学非常勤講師)