26号南禅寺・天龍寺

仏教新発見・第26号
『南禅寺・天龍寺』
発行:朝日新聞社
定価:580円

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第26回 ミャンマーの仏教

ミャンマーの仏教
イラスト ヨシザワスタジオ

 ミャンマー(ビルマ)は、インドシナ半島西部に位置し、国土の東西を山に挟まれ、その中央をイラワジ川が北から南に貫流し、流域に平野を形作っている。東をタイ、ラオス、中国に接し、西をインド、バングラデシュに接している。

 この地への仏教の伝来に関して、いくつかの伝説が存在する。ここではそのうち二つを紹介したい。一つは、タプッタとバッリカという、この地域出身 の二人の商人が船でインドに渡り、釈尊に面謁して、八筋の仏髪を授けられ、それを現在のシュエダゴン・パゴダ(仏塔)の所在地に安置したというものであ る。もう一つは、紀元前三世紀頃、インドのアショーカ王が比丘たちを各地に派遣した際の派遣先の一つ「スワンナブーミ」が、ミャンマーの一地域を指してい るというものである。

 こうした伝承の当否は定かではないが、学術的成果によれば、かつてこの地を支配していたピュー族によって、五~六世紀頃には上座部仏教が学ばれ、 七~八世紀頃には大乗仏教も信仰されていたと推定されている。ピュー族国家の消滅を契機に、ビルマ族が伸張し、一一世紀頃にはイラワジ川流域地域を平定し た。これが現ミャンマーの直接的なルーツである。

 さて、当時のビルマ人社会では、酒を偶像に供え、呪術を行うなど、密教的な性格の強い「アリー僧」と呼ばれる者たちが強い影響力をもっていた。そ れに対して、パガン朝のアノーヤター王(在位一〇四四~七七年)は新たに支配下に収めたモン族の中で信仰されていた上座部に改宗し、アリー僧たちを還俗さ せた。これが、東南アジアに上座部仏教が広がる端緒となった。なお、アノーヤターが導入した上座部は純正なものではなく、ヒンドゥー教と融合したもので あったようである。しかし、その後スリランカの上座部との交流を深めていき、次第に現在見られるような姿になっていった。

パゴダに集まる仏教徒たち

シュエダゴン・パゴダ
ミャンマー、ヤンゴンの中心地に建つ金色の寺院、シュエダゴン・パゴダ。ミャンマーの仏教徒にとっての聖地である。
写真 田村 仁

 ミャンマーには先述のシュエダゴン・パゴダの他、多くのパゴダが建てられている。パゴダには仏陀の舎利や遺物が納められているとされ、仏教徒たち が仏に直接向かい合い、礼拝、祈願、感謝する場所になっている。そこでは、音楽が奏でられることや、ものが売買されることもある。そのため、僧が修行に打 ち込む僧院とは明確に区別されており、パゴダに僧が住むことはない。ミャンマーの仏教徒は、性格を異にする両仏教施設で、各自の信仰、実践を深めている。

 さて、近年の動向としては、ミャンマーで醸成された瞑想方法が世界各国に広がったことが挙げられる。一九四九年、ヤンゴンにマハシ瞑想センターが 誕生すると、従来、一部の修行専門僧に限られていたヴィパッサナー瞑想法(真実知見をねらう内観)が、一般の僧侶や在家信者の間にも広がることになった。 その後、この修行法は東南アジア諸国のみならず、欧米にまで広がっていった。

 こうした実修面のみならず、ミャンマー仏教では教義研究も今なお盛んである。一九五四~五六年には、伝承の過程で生じた仏典の誤りを正すため第六結集(仏典編纂会議)を開催し、多くのパーリ三蔵原典、注釈書を校訂出版している。

(文・鈴木健太 すずき・けんた 一九七四年、愛知県生まれ。専門は仏教学、インド仏教。著書に『「般若経典」を読む』(共著)など。東京大学COE研究員)