灌仏会と花まつり

高崎 直道  1958年5月


陽春四月八日の花まつりといえば、仏教の行事のうちで、現代の日本人がある意味で例外的に知悉していることの一つである。例外とはつまり、仏教にとってより重要な意義をもつところの成道会や涅槃会を知らない、それ程に仏教が日本人の生活から遠くなりかけているのに、といった多少皮肉もまじった言い方なのであるが、一方では、その時期やよし、日本の象徴といえる桜の花盛りに当たっていること、その意義が、人間釈尊の誕生を祝うという、宗教を離れて共感をもてるお祭りであることが、その盛行の主因なのであろう。

花まつりは仏の誕生祝という意味で、と呼ぶのが正式である。一般にはしかし、と古来よび慣わして来た。これは祭の重要な行事として、誕生仏、すなわち、仏陀が誕生した時、七歩あるいて右手を以て天を指し、左手を以て地をさして、天上天下唯我独尊と言われたという伝説に基いて作られた仏像を器に入れ、これに香水(今は甘茶)を灌ぐ、という行事に基いた名である。この「灌仏」のことは、日本では、仁明天皇の承和七年(西紀八四〇年)に伝燈大法師静仁を導師として清涼殿で儀式が行われたと続日本紀等に見えるのが最古の記録であり、爾来平安時代から室町時代に至る迄、宮中、公家の年中行事の一つとなっていた。しかし、民間あるいは寺院ではもっと古くから行われていたと想像され、恐らく、灌仏の風習は仏教の渡来と共に、中国から伝えられたに違いない。中国では唐の時代に灌仏会が民間の祭りとして盛行をみせていたが、最も古い記録としては、後趙の石勒が毎年四月八日に親しく寺に詣でて灌仏し、児のために発願したと高僧伝第九にみえるものであろう。

更に遡ってインドをみると、直接インド人の手になる記録ではないが、有名な求法入竺の僧法顕が親しく見聞した、西紀五世紀初めグプタ王朝治下の首都パータリプトラでは「年々常に建卯の四月八日を以て行像す、四輪の車を作り・・・・・・・・・車々の荘厳は各々、異れり。此の日に当って境内の道俗は皆集りて倡伎楽を作し、華香を供養す。婆羅門子来りて仏を請ず。仏は次第に城に入り、城内に入りて再宿す。夜を通して燈をし、伎楽して供養す。国々皆爾り。・・・」と、彼の旅行記にあるように民衆の祭りとなっていた。同様の記事が西域、干?国に関してもみえるが、そこではこの行像の儀が四月一日から十四日までつづくとある。

行像とは、引文からも推定されるように、仏像をのせた山車をひいて町を練り歩くことをいうのであるが、灌仏の儀はここには見えない。灌仏に関してはしかし、玄奘や義浄の旅行記では、僧堂内で仏像に毎日香水をかけて礼拝する儀式のあることを伝えており、特に仏生会とだけ結びついたのではないらしい。暑い国だから毎日沐浴しなかったらたまらないからだろうと冗談めいた推定も出てくるわけだが、現在のインドをみても、寺院に参詣する前や、毎朝のつとめとして沐浴するのは極めて一般的な習慣であり、宗教的に重要な儀式の一つなのである。特に誕生の時の灌沐については、普旺経という、釈尊の伝記を述べた経典の一つに、帝釈天が仏陀の誕生を祝して天から香水を降らして洗浴した、とあるから、中国・日本では、これが灌仏会の典拠とされている。又、釈尊が成道後はじめて法を説かれた地といわれるサルナート(鹿野苑)から出土した石彫の仏誕生図にも、竜王が香水を仏陀の頂に灌ぐさまが画かれているので、古い伝説であることが知られる。 このように、誕生仏に香水を灌ぐのが、インド・中国を通じ、又日本でも古くからの慣わしであったが、江戸時代の中期以後になると、何時しか甘茶を以て香水に代えるのが慣例となった。そのはじまりは享保の頃とのことであるが、或は八代将軍吉宗の薬草奨励などと関係があるかも知れず、中国近世の民間の風習が輸入されたものらしい。宋の孟元老の著「東京夢華録」には「四月八日、仏生日、京師の十大禅院に浴仏斎会があり、乃ち香薬を煎じ、糖水相遣る。之を浴仏と謂う」とある。甘茶には、インドで古来いう不死の薬、甘露を象徴している意義がある。

最後に花まつりということであるが、仏像に花を供えて祭るのもやはりインド古来の習慣で、華鬘とか華厳とか仏典にも?々出てくるし、現今何処の寺に行ってもみられることであるが、花御堂の中に仏像を安置することは、中国の記録に「浸すに糖水を以てし、覆うに花亭を以てす」とあるから、甘茶と同時頃始まった習慣かも知れない。この供茶は本来、蓮華であったろうが、四月という季節が旧暦では初夏であるが、とにかく花に一番恵まれた時節であり、さまざまの花で飾りたてるようになったらしい。尤も、この季節感は中国・日本でのことであり、インドではとくに重大な要素ではない。それかあらぬか、仏誕を四月八日に固定しているのは、日本だけで、現在、インド・セイロン等南方諸国ではヴェーサク月の満月の日(大たい五月末で雨季のはじまる頃)が、成道、涅槃と共通の祭日として、ブッダ・ジャヤンティとよばれている。

従って、花まつりは仏教と本質的に関係はないらしい。民俗学者によれば、日本では仏教渡来以前から民間の行事として、毎年の農事始めのお祭りとして四月八日に一種の花まつりが行われていたという。従って、その日がたまたま仏生日に合致したということに過ぎないようであるが、四月八日というのは日本では(中国でも似た事情があると思われるが)それが逆に、仏教が民間に浸透するのに極めて重大な働きをした、佳き日であり、仏生日はその日でなければなかったように思われる。

(了)