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第5回 仏教東漸史 南伝仏教

 北インドで釈尊という一人の人物に始まった仏教は、布教を通じてインド内外に広まりました。近年では仏教西進の証拠となる考古学的発見もなされていますが、 現在まで信仰され続けている仏教は南北のルートを経由して東に進んだものです。そしてその現存の仏教は、スリランカを経て東南アジア世界広まった南伝の上座部仏教と、 東アジア系、チベット系の二つの北伝の大乗仏教に大きく分けられます。ここでは、これらの地域への仏教伝播をそれぞれ述べてゆきます。

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 まず、仏教の南伝について説明します。
 スリランカへの仏教伝播は、アショーカ王の子とも弟ともいわれるマヒンダとその一団がスリランカへ布教したことに始まります。 時のスリランカ王デーヴァーナームピヤティッサ(前250-210年在位)は王都アヌラーダプラに後世「大寺」といわれる寺院を建設しました。その後、5世紀に入って、 スリランカの外からブッダゴーサという僧が大寺にやってきました。彼はパーリ語で『ヴィスッディマッガ』という書を著すと共に、 シンハラ語に翻訳されていた古注釈をもとにパーリ語の仏典注釈を作成しました。彼の活躍により以後上座部仏教の著作はパーリ語で書かれるようになりました。 さて、実はスリランカには上座部以外の仏教も伝わっており、大寺派と対立するアバヤギリ寺派、ダッキナ寺派はそれを受容していましたが、 12世紀後半にパラッカマバーフ王が大寺派に他の二派を統合したため、スリランカの仏教はパーリ語を使用する大寺派の上座部仏教一色になりました。

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 ミャンマーは古い時代からインドと交流があり、上座部を含めて様々な仏教が伝わっていましたが、11世紀のアノーラータ王の時、上座部は王の信奉を受け盛んになります。 この頃はまだスリランカで大乗仏教の影響が払拭されるより前でしたので、ミャンマーの上座部もそのようなものでした。この後スリランカ王ヴィジャヤバーフ一世(1055-1110年在位) の時代にはミャンマーからスリランカへ、15世紀にはスリランカからミャンマーへ上座部が互いに移植しあうという出来事がありました。この結果スリランカの大寺派に統一された 上座部がミャンマーに伝わることになりました。この後、17世紀には二度ミャンマーからスリランカへ上座部が逆移入されています。

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 タイにも11世紀に上座部は伝わりますが、スリランカの大寺派上座部が伝来したのは13世紀半ばです。そして14世紀末までには、タイの諸王に保護され、タイは大寺派一色になりました。 タイからも18世紀にスリランカへ上座部の逆移入がなされました。カンボジアは、インド文化の影響をうけヒンドゥー教や様々な仏教が伝わっていましたが、 14、5世紀にタイの侵攻を受けて大寺派の上座部が伝来し、次第にそれ一色になりました。ラオスも同様にタイのバンコク朝に支配されて大寺派上座部が盛んになりました。

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