CONTENTS

第6回 仏教東漸史 北伝仏教-東アジア-

北伝仏教-東アジア-

 次に東アジア系の北伝仏教についてみてみましょう。
 まず、インドに始まった仏教はガンダーラに伝わり、中央アジアを経由して中国へと広まりました。 中国への仏教初伝は文献上では紀元前2年とするのが一般的です。ですが、それ以前にもいわゆるシルクロードを通じた交易が行なわれていたことから、 すでに仏教は中国に伝わっていたのではないかと推測されています。 さて、中国に仏教が伝えられるようになると、インド諸言語や、中央アジア諸言語で書かれた仏教文献が中国語へと翻訳されるようになりました。 最初期の翻訳家には、部派仏教系の文献を翻訳した安世高(あんせいこう)や、大乗仏教関連の文献を翻訳した支婁迦懺(しるかせん)(いずれも2世紀後半に活躍)などがいます。 仏典翻訳の画期となったのは、401年に後秦に迎えられた亀茲(きじ)国出身の鳩摩羅什(くまらじゅう)です。彼は『法華経』などの重要な大乗経典を洗練された文体に改訳し、 また『中論』『大智度論(だいちどろん)』などの空(くう)の思想に関係の深い論書を翻訳しました。この鳩摩羅什と6世紀後半に活躍した真諦(しんだい)、 7世紀半ばの玄奘(げんじょう)、8世紀の不空(ふくう)の四人のことを中国四大翻訳家と呼びます。このうち真諦は西インド出身で海路中国に至り、中国各地を流浪しつつ、 とくに唯識関係の文献を翻訳しました。玄奘は中国から仏典を求めてインドを旅し、帰国後は勅命によって立てられた翻訳機関を差配して、大乗小乗のあまたの経論を翻訳しました。 彼のほかにインドに旅行した中国人僧としては、5世紀初頭に旅した法顕(ほっけん)と、8世紀後半の義浄(ぎじょう)が有名です。中央アジア出身の不空は、 13歳の時に長安に入り密教を修行した後、インドへ渡り中国に多数の密教経典を伝えました。

*                *                *

 さて、中国に伝わった仏教は、朝鮮・渤海(ぼっかい)・日本・ベトナム・台湾といった漢字文化圏に含まれる国々に伝播し、隋唐代には漢訳仏典による中国仏教文化圏が 形成されました。このうちまず朝鮮は、仏教伝来当時、高句麗(こうくり)・百済(くだら)・新羅(しらぎ)の三国時代でした。このうち高句麗は372年に中国北朝の前秦から仏像・ 経典と僧侶を送られたのが仏教初伝です。百済には384年に東晋より胡僧の摩(ま)羅(ら)難(なん)陀(だ)が訪れたのが始まりであり、その後、謙益(けんえき)がインドへ行って律を持ち帰った他、 中国の梁に朝貢して『涅槃経(ねはんぎょう)』などの経典と工芸家を送られました。新羅には、5世紀前半に高句麗から沙門(しゃもん)墨胡子(ぼくこし)がやってきたのが始まりといわれますが、 527年、法興王によって仏教は国家公認のものとなり広まりました。朝鮮ではこの後、統一新羅時代(676-935年)には華厳宗や法相宗が、高麗(こうらい)時代(918-1392年) には禅宗が盛んになりましたが、これらは中国の影響を受け続けた結果です。

*                *                *

 日本に仏教が公式に伝えられたのは、538年、百済王から仏像と経論を送られたのが始めてであるとされます。その後、高句麗からは慧慈(えじ)、曇徴(どんちょう)、 百済からは曇慧(どんえ)、慧聡(えそう)、観勒(かんろく)らが渡来して仏教や暦法などを伝えました。また、入唐して玄奘についた道昭(どうしょう)(629-700) や唐からやって来て律宗を伝えた鑑(がん)真(じん)などによって中国の仏教諸宗派が日本に移殖されました。平安時代には最澄(さいちょう)(767-822年)と空海(くうかい)(774-835年) らによって密教が伝えられました。

次へ