第12回 東南アジア仏教史1
東南アジアは、インドと古くから海上交通による交流があり、昔からインドの様々な文化を受け入れてきました。 今でこそタイとビルマは上座部仏教の国として知られていますが、大乗仏教やヒンドゥー教が、もしくはそれらが融合した宗教が、広く信仰されていた時期もありました。 また、精霊信仰といった土着の民間信仰と結びついたり、王権と結びつき国王の支配の正当化に用いられたりした特徴が見られます。
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【ミャンマー】
現在のミャンマー(1989年にビルマから名称変更)は、総人口の約70%を占めるビルマ族を中心とした多民族国家ですが、
かつてこの地にはピュー族やモン族などが活動し、仏教を受容していました。
そのうちのピュー族は東南アジアの諸民族の中でも最初期に仏教を受容した民族とされています。
ピュー族に伝播した仏教は、5世紀頃の金板碑文にパーリ仏典からの引用文が記されていることなどから、上(座部(じょうざぶ)仏教であると考えられていますが、
それはスリランカより伝播したものではなく、南インドより伝播したもののようです。
また、遺跡調査によって観音(かんのん)や弥勒(みろく)などの菩薩(ぼさつ)像やヴィシュヌ像やシヴァ像などが発見されていることから、
上座部仏教以外にも大乗系統の仏教やヒンドゥー教も行われていたものと考えられます。
このピュー族は832年に南(なん)詔(しょう)国から攻撃を受け衰退しますが、それに伴い、モン族とビルマ族がこの地に勢力を伸張しました。
下ビルマに進出したモン族は上座部仏教を受容していたようですが、この仏教が後に上ビルマのビルマ族に伝わることになります。
その契機となったのが1057年のアノーヤター王による南進であり、ビルマ族がモン族の中心都市タトンを攻略します。
そして、この王の主導の下、タトンより上座部仏教が下ビルマのパガンに導入され、王は篤く仏教教団を庇護しました。
この出来事はその後のミャンマー仏教史において大きな意義をもち、これ以降、ビルマ族の統一国家では上座部仏教が公的に信奉されることになります。
1287年の蒙古軍の襲来やその後のシャン族の分割支配といった不安定な政治情勢にあっても、上座部の仏教教団は国家により保護されました。
この様な国家と仏教教団の関係は、イギリスによる領土侵食と凡そ60年間の植民地化を経て独立した後も変わらず続き、ウ・ヌ首相の指導の下で一時上座部仏教は国教化されました。
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【タイ】
雲南方面よりインドシナ半島の中央部に南下してきたタイ族は、最初クメール人のアンコール王朝の支配下にありましたが、
13世紀初めにクメール人の太守を撃退し、スコータイ王朝を建てました。
第三代の王ラーマカムヘングの治政下でスコータイ王朝は最盛期を迎えますが、この頃にスコータイに上座部仏教が伝播しました。
歴代の王は仏教教団を保護し、一方、仏教教団は王権の正統性を確立する役割を果たしていたようです。
このような関係はその後のアユタヤ王朝や現在のチャクリー王朝にも受け継がれており、そのため上座部仏教はしばしば王権の介入を受けました。
例えば、後にラーマ4世(1851-1868年)となるモンクットが主導したタマユット運動がそうです。これは原典重視を志向する仏教改革運動ですが、
西欧列強の進出に対する危機感を背景とした宗教におけるナショナリズムとも捉えられています。
また、ワチラヤーンによる仏教教団の改革も異母兄であるラーマ5世(1868-1910年)による国家の中央集権化と軌を一にしたものであると考えられています。
王権と仏教教団の密接な関係は1932年の立憲クーデター以降も不変であり、王は仏教教団の擁護者となり、仏教教団は王権を通じて統治機構に正統性を与えているのです。
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【カンボジア】
カンボジアの歴史は、2世紀にクメール人の建てた扶南(ふなん)という国から始まります。扶南では、ヒンドゥー教と仏教の混交した宗教が信仰されていました。
6世紀になると、扶南の属国であった真臘(しんろう)が台頭し、ついに扶南を征服します。
真臘では、大乗仏教が広く信仰され、観音菩薩像などが建立されました。その後分裂した真臘は、9世紀初頭にジャヤヴァルマン2世によって再度統一されます。
ジャヤヴァルマン2世は、自身をヒンドゥーの神の生まれ変わりであると主張し、その支配の正当化を図りました。
以後のクメール帝国では、このような国王は仏や神の化身として民衆を救済するという思想が通して見られ、ヒンドゥー教や仏教と王権の結びつきが顕著になりました。
そして、12世紀に有名なアンコールワットが建てられました。
アンコールワットは、クメールの建築、彫刻の技術の極みであり、ヒンドゥー教と大乗仏教の菩薩が融合した独自の宗教施設です。
15世紀にタイのアユタヤ朝に滅ぼされた後は、タイの上座部仏教が浸透し、現在も主流となっています。
[次号に続く]