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第13回 東南アジア仏教2

【インドネシア】

 インドネシアは現在では世界で最もイスラム教徒の多い国として知られていますが、ボロブドール寺院の遺跡に見られるように、昔はヒンドゥー教や仏教の栄えた国でした。 インドネシアにかつて栄えたシュリーヴィジャヤ王国は、スマトラ島に7世紀に建国されました。 そのころに中国からインドへ求法(ぐほう)の旅に出た唐の僧侶、義浄(ぎじょう)がこの王国に立ち寄り、その様子を書き残していますが、大乗仏教が大いに栄えていました。 11世紀にはダルマキールティという大学者が現れ、インドからも多くの僧侶が学びに来るほど、シュリーヴィジャヤ王国は仏教の一大中心地となりました。
 また、ジャワ島にはボロブドール寺院で知られるシャイレーンドラ朝がありました。 シュリーヴィジャヤ王国とも関係の深いこの国では、密教が広まっていました。 そして、ヒンドゥー教の神と融合していき、さらに在来の祖先崇拝とが合わさった独特の混交宗教が生まれました。 14世紀に誕生したマジャパヒト王国でも仏教は盛んでしたが、僧侶は宗教活動を禁止され、代官として租税の取り立てを行うなど、官僚の一部に組み込まれてしまいます。 その後、イスラム商人の来訪を経て、イスラム教が広まり、現在のようなイスラム教国となりました。

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【ベトナム】

 南北に長いベトナムは、北部は中国の影響を、中部と南部はインドや東南アジア諸国の影響を受けてきました。
 北部は、紀元前3世紀に秦に征服されてから10世紀に独立するまで中国の支配下にあったためため、長らく漢訳経典を用いた仏教が広まっていました。 交易路としても重要な拠点であったベトナムには、インドから中国へ渡る多くの僧侶らが滞在します。その中で有名な人物に、呉(ご)に渡り釈迦の前生を語った 『六度集経(ろくどじっきょう)』を翻訳した康僧会(こうそうえ)がいます。独立後も、中国文化の導入は続き、儒教や道教、仏教が継続して入ってきました。 唐代以降には中国仏教は、禅宗が主流となり浄土教と融合しますが、それもベトナム北部に持ち込まれ、民間信仰と融合していきます。 中部では、王はサンスクリットの名前を名乗り、ヒンドゥー教の神々を祭っていたようにヒンドゥー教が主流でした。 しかし、仏教も伝えられており、9世紀頃にはヒンドゥー教と融合したインド系大乗仏教の寺院も建立されます。 南部は、クメール人の活動する地域でカンボジアと重なっていますので、詳しくはカンボジア仏教史をご覧下さい。
 ベトナムの北部、中部、南部は互いに抗争を繰り返し、その過程で文化の交流と民族の混血が進んでいきます。 19世紀に阮福映(ぐぇんふっくあぃん)が南北を統一し、清(しん)から越南(えつなん)の国号を与えられます。 清から仏教と移民が流入し、漢語による仏教が浸透していきました。 しかし、フランスに支配されキリスト教が広まるとローマ字表記が強制されるようになります。
 第二次世界大戦、フランスからの独立戦争、ベトナム戦争を経て、現在のベトナム社会主義共和国が成立します。 現在の主流は、漢訳仏教に基づく大乗仏教ですが、南部ではカンボジアの上座部仏教を信仰する民族もいます。 また、新興宗教も盛んで、上座部仏教と大乗仏教を融合しようとする乞士(かっとしー)派も勢力を伸ばしています。

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〈参考文献〉
奈良康明『世界宗教史叢書 仏教史Ⅰ』、山川出版社、1979年
池田正隆『ビルマ仏教―その歴史と儀礼・信仰―』、法蔵館、1995年
生野善應『ビルマ上座部佛教史―『サーサナヴァンサ』の研究―』、山喜房仏書林、1980年
石井米雄『上座部仏教の政治社会学―国教の構造―』、創文社,1975年
石井公成他『新アジア仏教史10 朝鮮・ベトナム 漢字文化圏への広がり』、佼成出版社、2010年

[文・青野道彦 東京大学大学院/豊嶋悠吾 東京大学大学院 平成22年9月]

*この記事は、平城遷都1300年奉祝イベント「ほとけの道のり」のパンフレットに転載されました。