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第16回 朝鮮仏教史

1. 三国時代の仏教(紀元前1世紀~紀元後7世紀)

 朝鮮の仏教は、4世紀の高句麗(こうくり)・百済(くだら)・新羅(しらぎ)の三国時代に始まります。 当時の中国は、北朝が五代十国の時代、南朝が東晋の時代でした。高句麗と百済は中国と交流があり、律令制や儒教と一緒に新しい文化として、きそって仏教を導入しました。

 高句麗では372年に、百済は384年に公式に伝えられたとされています。また、新羅も同じころに仏教が伝わっていましたが、公式には528年に高句麗より伝わったとされています。 高句麗では、中観思想を元とする三論学が盛んでした。6世紀には、僧朗(すんらん)という人物が現れ、中国に渡り三論学の方面で活躍しました。 彼の思想は後に中国で三論学を大成した吉蔵(きちぞう)に受け継がれました。

 百済では、戒律が重視され謙益(きょみく)が王の命を受けてインドに渡り律に関する書物を持ち帰りました。 また、法華信仰や弥勒信仰も根強く、天台宗第二祖として知られる慧思のもとで勉強した玄光(ひょんぐわん)がいます。

 新羅では、従来の祭政一致の社会体制から祭政分離へと移行するにしたがって、花郎(ふぁらん)集団という宗教的集団が登場しました。 花郎集団とは、王侯貴族の若者を中心として、古来からある天神信仰に、道教・儒教・仏教を取り込んだ宗教を信仰する集団です。 この花郎集団は、後に軍事活動も行うようになり、新羅が三国を統一する際に活躍しました。その後、高句麗では末期には廃仏政策がとられ、百済は滅亡したために、多くの優秀な僧侶が日本に逃れてきて、 飛鳥時代の仏教に大きな影響を与えました。

2. 新羅時代の仏教(紀元前57-935年)

 三国が統一をめぐって戦乱を繰り返していた時代を背景として、新羅では仏教は護国思想と結びついて信仰されました。そして、僧侶もまた政治と戦乱に関与しました。 そのうちの一人に、円光(うぉんぐぁん)という僧侶がいます。円光は、武士が守るべき世俗の戒律として、以下の五戒を定めました。
 1.王に忠信をもってつくすこと、
 2.親に孝心をもって仕えること、
 3.友人には信義をもって接すること、
 4.戦いに挑む際には撤退してはいけないこと、
 5.殺生しなければいけない場合でも多くは殺さないこと
 仏教の五戒というと、殺さない・盗まない・邪淫を行わない・嘘をつかない・酒を飲まないの五つですが、 円光の五戒は、それらと違って戦争を前提とした護国思想をはっきりとあらわしている点で特徴的です。 7世紀に唐で仏教が興隆すると、仏教を学びに行く僧侶が数多く出るようになりました。そのうちの一人、慈蔵(ちゃじゃん)もまた唐に渡り、戒律や僧侶の制度を学び、国内の整備に努めました。

 668年に新羅は高句麗と百済を滅ぼし朝鮮半島を統一します。国勢が高まるとともに仏教も盛況となり、法相(ほっそう)や華厳(けごん)の思想が伝えられました。 華厳では『大乗起信論海東疏(だいじょうきしんろんかいとうしょ)』を書いた元暁(うぉんひょ)と『一乗法界図(いちじょうほっかいず)』で知られる義相(うぃさん)の二人が、 法相ではチベット語に翻訳もされた『解深密経疏(げじんみっきょうしょ)』を書いた円測(うぉんつく)と『瑜伽論記(ゆがろんき)』を書いた遁倫(とぅんりゅん)が知られています。 特に元暁の書いた『大乗起信論』の注釈書は、中国の華厳思想を大成した法蔵(ほうぞう)にも大きな影響を与えました。 法蔵の華厳の思想は、後の東アジアに大きな影響を与えましたが、元暁の思想がその形成に大きく働いています。

 新羅の時代も後半になると、中国で浄土教と禅が広まった影響を受けます。元暁は華厳だけではなく念仏おどりを創始したとも伝えられており、往生歌も作られました。 身分を問わず往生できるという浄土思想は、身分制度の厳しかった新羅社会全体に広まりました。 また、禅も伝わり、高麗時代に九山禅門(くさんぜんもん)と呼ばれるようになる禅のグループが形成されました。その流派は主に馬祖道一(ばそどういつ)の流れを受けた南宗禅(なんしゅうぜん)が主です。 現在の韓国で大きな勢力を持つ仏教宗派に曹渓宗(そうけいしゅう)があります。その源流となった人物が知訥(ちぬる)です。 彼は、中国の華厳学者である李通玄(りつうげん)と宗密(しゅうみつ)に傾倒しました。二人とも華厳と禅を結びつけて解釈した人物ですが、その流れを受け、知訥は朝鮮禅を確立します。

3. 高麗時代の仏教(918-1392年)

 高麗の仏教は、新羅時代の護国思想の影響を引き継ぎながら、道詵(とそん)の活動により風水信仰とも強く結びついていきました。この時代の大きな特徴は、天台の伝来と大蔵経の製作です。

 大蔵経は現在では日本で編集された大正新脩大蔵経(たいしょうしんしゅうだいぞうきょう)が広く使用されています。その大正新脩大蔵経が底本として使用したのが高麗大蔵経です。 この高麗大蔵経は、海印寺(へいんさ)の大蔵経版殿に納められており、世界遺産に指定されています。この大蔵経は、契丹(きったん)族とモンゴルの軍隊が攻めてきたときに、護国を願って製作されました。

 中国の唐代に生まれた新宗派に天台宗があります。天台大師智顗(ちぎ)によって大成された天台教学は、華厳思想と並んで後世の中国・日本に大きな影響を与えました。 ところが、朝鮮には天台の思想はすぐには伝わらず、高麗時代になってようやく伝えられます。高麗で天台思想を興隆させた人物は、諦観(ちぇぐぁん)です。 彼の著した『天台四教義(てんだいしきょうぎ)』は複雑な天台教学を要領よくまとめた綱要書として東アジアで広く使用されました。 その後、義天(うぃちょん)が諦観を受け継いで天台宗を立てました。義天は大蔵経に入らなかった典籍を集めて大正蔵の続きとして『続大蔵経』や新しい目録である『新編諸宗教蔵総録』(義天録)を刊行しました。

 その他に、『海東高僧伝』や『三国遺事(さんごくいじ)』といった歴史書が書かれます。華厳思想の方面では、法蔵の著した『華厳五教章(けごんごきょうしょう)』の研究が進み、禅の方面では臨済宗が伝えられました。

4. 李氏朝鮮時代の仏教(1392年~1910年)

 高麗時代末期から李氏朝鮮(りしちょうせん)の時代は、儒教の朱子学(しゅしがく)が導入されたことにより、仏教は弾圧されていきます。 李氏朝鮮の時代は初代太祖(てじょ)から第九代成宗(そんじょん)までを前期、第十代の燕山君から第二十七代純宗(すんじょん)までを後期とします。 初期の時代には、無学自超(むはくちゃちょ)の活躍もあり王の指示も得られていましたが、第三代の太宗(てじゅん)から寺院の統合と宮廷における仏教儀礼の廃止などの厳しい抑圧政策が行われるようになりました。 後期に入ると、第十世燕山君(よんさんぐん)、中宗(ちゅんじょん)、仁宗(いんじょん)と80年間に渡り仏教は徹底的に排撃されました。 このように朱子学だけを尊ぶ宮廷内において、仏教は主に女性の間で信仰され続けました。

 徐々に衰退を続ける仏教界でしたが、豊臣秀吉の侵略によって大きな転換期を迎えます。豊臣秀吉の侵略に対して、李氏朝鮮時代において第一の高僧として知られる西山大師休静(ひゅじょん)は王の命令を受けて、 僧侶らに義勇軍に参加するように呼びかけ、僧侶らは大奮闘しました。それ以後、僧侶が僧兵として国境の警備に当たるようになり、廃仏政策も緩和されて活躍する僧侶らも現れるようになりました。

5. 韓日併合期と独立後の仏教

 明治時代に入ると日本仏教勢力が朝鮮に進出してきます。最初に江戸時代の朝鮮通信使とも繋がりのあった浄土真宗大谷派が、続いて日蓮宗、浄土真宗本願寺派、浄土宗と進出してきました。 そのような日本仏教の進出を受け、朝鮮仏教界も大きく動きます。日本を訪れ積極的に開化政策を進めようとする僧侶が出る一方で、それに反対し伝統仏教を回復しようとする鏡虚(きょんほ)らのグループも現れました。 日本が韓国を併合すると、朝鮮総督府が直接、朝鮮仏教の統率に乗り出し、寺刹令(じさつれい)を制定しました。 そのような中、仏教界内部で近代改革を主張する僧侶らが出ます。権相老(くぉんさんの)と韓竜雲(はんよんうん)は、平等思想に立脚した教育制度と修行方法の革新と積極的な大衆布教などを主張しました。

 第二次世界大戦が終わり、日本から独立した韓国の仏教は、日本仏教の支配と影響を廃して、復興に向かいました。その第一歩として妻帯僧を追放し寺院の生活を正す浄化運動が起きます。 日本では明治時代に入って僧侶の妻帯が認められたこともあり、その支配下にあったときには妻帯する僧侶が韓国でも現れました。 それに対して戒律の遵守を求め妻帯を禁止する僧侶らと妻帯僧の間で紛争が起きました。その結果、曹渓宗から妻帯僧らが分派して太古宗が生まれました。 その他にも、新たに円仏教、真覚宗、元暁宗、法華宗、仏入宗といった宗派が誕生し、今に至っています。

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〈参考文献〉
玉城康四郎『世界宗教史叢書8 仏教史Ⅱ』、山川出版社、1983年
鎌田茂雄『東洋叢書1 朝鮮仏教史』、東京大学出版会、1987年
石井公成他『新アジア仏教史10 朝鮮・ベトナム 漢字文化圏への広がり』、佼成出版社、2010年

[文責:豊嶋悠吾 東京大学大学院]

*この記事は、平城遷都1300年奉祝イベント「ほとけの道のり」のパンフレットに転載されました。